白菊ほたる - 初めて見る、「色」。-

はじめに

こんばんは。
今日は「谷の底に咲く花は」という楽曲についての話を少しだけしようと思う。
皆さんはこの曲を知っているだろうか。
この曲はアイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージというアプリにて、2019年2月9日に配信開始された。
白菊ほたるという名のアイドルの初めての手持ち楽曲……所謂ソロ曲というやつだ。
日頃からゲームを遊んでいる人達にとっては、白菊ほたるの最近を肌でなんとなく感じてくれている事だろうと思う。
元旦のご挨拶に始まり、件の楽曲先行配信と、今年に入ってからのほたるの躍進は著しい。
そしてきたる2019年5月15日。ついに同曲が封入されたCDが発売された。
ゲーム版では1番しか収録されていなかったがCDにはフルバージョンが当然収録され、その全貌が明らかにされたのだ。
私は早速CDを買い、交通事故に充分気を付けながら帰路につき、謎の機材トラブルと格闘して。
万難を排し、部屋を暗くして、ヘッドホンを身に着け。
そして私は聴いた。

……衝撃を受けた。
これは全世界に対して紹介しなければならない。
そういうものだ。
そう感じたから、今回もこうしてまた筆を執っている。
実はこういった類の衝撃は、ほたるの曲よりもほんの少し先に聴いた森久保乃々のソロ楽曲「もりのくにから」からも受けている。
受けてはいるのだが、私は普段白菊ほたるのプロデューサーを名乗っているのだ。
森久保の為の素晴らしい楽曲の紹介については、その筋の素晴らしい方々に任せたい。
私は白菊ほたるについて語ろう。

さて。
そうはいっても今回は、深くて鋭い解説や専門知識を要する考察については、かなり踏み込んだ話になってしまうので出来れば避けたいと思っている。
しかしなんとかして魅力は伝えたい。我ながら欲張りだ。
そこでこの記事では、私がこの曲を初めて聞いた時の気付きや衝撃を主に綴ろうと思う。
それらの共有を通して、楽曲ひいては白菊ほたるについて興味を持っていただくような事に繋がれば幸いだ。
深くて鋭い解説や専門知識を要する考察については、既に誇るべき同胞達がそれぞれのテリトリーにて昼夜を問わず議論や考えの公表を繰り広げている。
耳を澄ませてアンテナを立ててみれば、さらに興味深い話を盗み聞きする事だって可能だろう。
そんな行動に貴方を掻き立てるような一助になれば、それはそれは嬉しい事だと思っている。
またこの記事では出来るだけネタバレに相当する部分の開示を避けて、ほたるのパーソナリティと一部の歌詞から文章を綴ろうと考えている。
そう考えてはいるのだが、しかしその実これは私が衝撃を受けた部分の開示なのである。
まごう事なきネタバレには違いない。
中にはその部分が一番大事なんだろうが、という気持ちを抱いてくださる似た感性を持った方すらも存在するかもしれない。
だから楽曲に対して感動の最大瞬間風速を求める人や白菊ほたるを普段から応援している人にとっては、この記事は毒なのだ。
そういう性質を持った方々には今更言わなくても、もう自分でも分かるだろう。
今すぐUターンしてCDを買え。今買えない理由があるなら、ブラウザを閉じ、ほんの少しだけ我慢するのだ。
私自身がそうであるから、今こうして不躾に警告チックな真似をした。
わざわざ冒頭部分を微妙に長くし、下の部分が少しでも見えにくいように気を付けた。
この楽曲は白菊ほたるの持つ世界と密接に関係し、意味を持っている。
ゲームで公開されていた1番の部分は、とある物語のプロローグに過ぎない。
それほどまでにこの曲は大事なものだったのだ。
私はこれまで、アイドルマスターシリーズの中での最強のキャラクターソングは「細氷」か「ホントウノワタシ」か「in fact」か「羽ばたきのMy Soul」だと密かに考えていた。
最強と言いつつ4つも挙げた。オタクの悪い癖だ。Pは数が数えられない。
まぁしかし今回「もりのくにから」と「谷の底に咲く花は」はそれらと肩を並べたか、もしくは更新したかもしれない。
アナタがネタバレに敏感ならば、与える情報はこれで充分に違いない。
いいか、警告に二度はない。だから覚悟してくれ。

■新しい色

日本語における「は」と「が」の違いについて、アナタは考えた事があるだろうか。
私は偶然にも、ある。
私が好きなとある別の作品にて、「は」と「が」の対比が描かれていたためだ。
その時のケースと今から話す事柄については直接の関係性はないのだが、考えた事があると何かと気が付くものである。
必然か幸運か。
「谷の底に咲く花は」のフルバージョンを初めて聴いた瞬間に、私はその事実に気が付いた。
気になった歌詞は以下の部分だ。

あれが青い空
あれが白い雲
あれが赤い太陽

元々この曲は暗い谷の底での話であった。
だから光が射してから次々と鮮やかな色が登場するこのシーンというのは。
見える世界の全てが色付きをみせ始めた事を表す為の、恐らくは最も大事な部分の一つだと言っても良いだろう。

そして、「が」である。

あれは青い空
あれは白い雲
あれは赤い太陽

もしも、こう歌われていたら。
もしも、こう歌詞が綴られていたら。
全然印象が異なる事に気がついたであろうか。

「が」で繋いであると、日本語はその場で誰も知らなかった新しい事実を伝えるのだ。
谷の底に咲く花は青い空を知らなかった。
谷の底に咲く花は白い雲を知らなかった。
谷の底に咲く花は、赤い太陽を知らなかったのだ。
初めて見て、感動し、心震えたからこそ、そこに希望を憶えた。

白菊ほたるというのは様々なものを失い、様々なものを知らなかった少女だ。
歴は長いと思われるのにダンスレッスンをした事がなかった。
他人に近づく事が憚られて人の温かみを感じる事が出来なかった。
降りかかり続ける災厄が、彼女の笑顔を奪っていった。
もはやこうして挙げ始めれば枚挙に暇がない。

わざわざ私に言われなくても聴けば直感的に気が付いていたかもしれない。
でも確実にそういった意図の言葉選びがされている事を紹介させてほしい。

谷底の花はこの時初めて見たのだ。
青い空を。白い雲を。赤い太陽を。
だからこそこれは白菊ほたるの楽曲であり、白菊ほたるのソロ曲なのだ。

この部分は楽曲的にもドドーンと盛り上がる部分である。
私は泣いた。今は鼻と喉が痛い。
年甲斐もなく泣き過ぎだ。鼻水もかみすぎた。

キチンとフルバージョンのこの楽曲を聴くことで、アナタは白菊ほたるの決意のようなものを追体験する事が出来る。
ゲームで公開されていた1番の部分は、とある物語のプロローグに過ぎない。
この記事をここまで読破して頂いた今であってさえ、私が意図して隠した為に語っていない事がたくさんある。
シンデレラマスター52~54は名盤だ。是非手に入れて聴いてみて欲しい。
たぶん、損はしないと思う。私はそう信じている。

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