白菊ほたる - 日の出 -

印象画を描くとは。
空間や時間の変化でおこる光の動きを。
日常の中にある対象を題材にして。
様々な色を用いて絵画に落とし込むことである。

私は絵を描く事自体は嫌いではない。
けれども学生時代に美術2とかの評価を平気で賜っていた私であるから、
突然○○派とか言われても当然全く内容を知らない。
なので急ぎ足でWikipedia先生の元を尋ね、今読みかじった知識を再要約している。

多分、印象派画家は動を静に収める表現をしたかったのだと思う。
印象画のキャンバスには殆ど直接的な線がない。
表現したいものが光の変化だったから、輪郭など必要なかったのだと思う。
ペタペタと色を重ねて絵を作り上げていく。
印象派という言葉が誕生するきっかけになった「印象・日の出」という絵を
ひとたび見れば、だいたいのイメージは掴めるだろう。
そしてこのタイプの画家は実際の光の変化が見たくて、
アトリエに籠りきりだったそれ以前とは違い外で絵を描くようになったらしい。
もっとも絵の具の発達がなければそういった活動も難しかったみたいで、時期も良かったのだろう。

何故突然私がこんな事を言い始めたのか。
それは先日シンデレラガールズに追加された新曲の題名が「印象」だったからだ。
そしてその「印象」を、担当アイドル白菊ほたるが歌ったからである。


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CDジャケットにはほたるは居ない。
このアイドル達は「不埒なCANVAS」という曲の歌唱メンバーだ。
こちらはちょい攻め美術系。

「印象」は凄い曲だ。
そして、同時に白菊ほたるがこの曲を歌うという事のエグさにも私は気が付いた。
何故印象が「凄い」と感じ、キャスティングが「エグい」と感じたのか。
今回はそれをメモにして残したいと思う。
白菊ほたるはまたもや名曲に恵まれた。
今回も全ての関係者の方々に感謝の念を抱かずにはいられない。
ありがとう。ありがとう。

■印象の印象

この「印象」という曲について語り始める前に、まずはそもそもこれはどういう曲なのか。
かいつまんで超簡単に説明しておこう。
CDを買っていない人の為にまずは今北産業でいく。
既に聞いてくれた人は復習だ。

1:学校、美術室に2人の男女がいて、
2:片方が片方を好いており、想いを伝えたい。
3:そんな様子をなんか格好良く詩的に表現した歌。

である。
平たく言えば恋の歌だ。
恋の歌自体はTHE IDOLM@STERシリーズには良くある事なのだが……
今回のポイントはやはり「なんか格好良く詩的に」の部分であり、この歌の肝はそこにある。
本記事の大半の言及はそこに寄っていく。

曲構成は

イントロ→
Aメロ1→Bメロ1→Cメロ1→
サビ1→
間奏→
Aメロ2→Bメロ2→Cメロ2→
サビ2→
アウトロ
といった感じで、全体としてゆったりとしたバラードである。

1番だけだけど、試聴ページもある。
一応貼っておこう。

www.youtube.com

この曲にはブリッジ部分がなく、一見すると同じ構成を2回繰り返す曲に感じられる。
でも私には多分これはそれだけのものではないと思われた。
それについては次の節にて述べることにしよう。

ストリングス中心の曲だが、それはそれとして2ndヴァイオリンまで居てなんか凄い。
恋の歌であるから、もしかしたら2人居るという事自体に何か意味があるのかもしれない。
そう今感じはしたものの、音楽に詳しくないのでその辺の考察は識者に譲りたい。

ボーカルは三船美優さん、浜口あやめさん、そして白菊ほたるの3人だ。
優しく歌い上げられるその歌は美しくて、一生聴いていられるような気さえした。
私はね。

とりあえず印象って曲はそんな感じの曲である。
でも超簡単に言っても凄さが何も伝わらない。
以降でもうちょっとだけ説明させて欲しい。


■その旋律は輪郭で

この曲は大半の部分で鍵盤楽器は伴奏に徹していた。
しかしこれが表にしゃしゃり出てくる部分が1箇所だけある。
2番のAメロだ。
Aメロ2ではこれまで聴こえていた幻想的なストリングスが全て消え、
ほたるの歌声と鍵盤の音だけが場を支配する。
歌詞で言えば、

鮮やかな夕焼けに
世界がみんな
塗り潰されてしまったみたいに
朱く染まるからあと少しだけ
あなたのそばへ
の部分である。

(世界が)朱く染まる「から」あなたのそばへ(寄る)
とはなんなのか。
その答えはまさに印象画にある。

印象派画家は日常における光の変化とかを描きたくて外に出るのだと前に述べた。
だがもっと言えば世界が最も変化するのは夕方なのだ。
事実、日の出と日の入りは印象画として沢山残されているらしい。

つまり歌の1番で美術室にいた二人は実はこの時、
絵を描く為に外へと出掛けているのである。
たった二人きりで。
世界が朱く染まる刻っていうのは、この二人にとっては出掛けるべきタイミングなのだ。
きっと放課後であろうか。
夕焼けは毎日毎日訪れる。
友達以上、恋人未満の日々。
そんな日常がさりげなく描かれている。

そしてこの部分でだけ伴奏が消え旋律だけが残っていた事実が指すものとは何か。
旋律とは曲の輪郭だ。
だけど、輪郭のある絵は印象画の画風からはやや離れている。
写実的なものではなく、明確な線が見られないのがそれである。
でもこの部分だけは確かな現実だから。
だからきっと輪郭があったんじゃないかと思うんだ。

■だから全ては色彩で

歌詞に依れば、この曲に出てくるあなたと私は
「赤、青、黄、橙、藍、緑、紫、白」
の色で構成されている。
印象画として描かれる"あなた"は様々な色、即ち魅力を持った光であり、
"私"もまた様々な色を持った光なのだ。

あなたと居るという日常を、私は日々キャンバスへと色付けていく。
繰り返す日常の中で少しずつ変わっていくあなた。

この虹のような彩りを持った想い人を。
この綺麗な一瞬の時間と空間を。
このあなたに触れたい衝動を。
この私が抱えた秘密の想いを。
確かめるように、祈るように。
切り取るようにして。
筆を走らせていく。
この場で色を混ぜるとは何を意味するのか。
人により捉え方の強弱はあれど。
共に在りたいという強い想いの現れであることは間違いないと思う。

印象画を描くとは。
空間や時間の変化でおこる光の動きを。
日常の中にある対象を題材にして。
様々な色を用いて絵画に落とし込むことである。
"私"が描いた"あなた"の絵は二重の意味で印象画になっていて。
この関係が壊れない限りはずっと描き続けられるのだ。


「好きだから、怖くて言えない。」
ものぐさに書けばこれだけの事に過ぎない。
たった14文字だ。読んだら2秒。
でもそれを4分50秒の尺をかけて手を尽くして描いたからこそ。
美しいのであって、素晴らしいのだと私は感じている。

■黒という色

ここまでこうやって色々な事を一緒に考えてみて。
この「印象」という題名がなんか凄そうだと。
まぁまぁある程度同意してもらえたりしただろうか。
印象は凄い。とても素敵で洒落た曲だ。
そう私は信じて憚らない。

……で、この話は終わらない。
最後にこの素晴らしい曲が白菊ほたるに与えられた意味について少し考えたい。

白菊ほたるというアイドルは一部では黒色が割り当てられるような子だ。
サイリウムはピンクだし、白も似合うと言えば似合う。
だけど、絶対黒色ではないともなかなか言いきれない。

実は印象派の絵画には黒は登場しない。
影は対象の補色をもって表現され、どうしても黒が欲しい時はグレー等で表現するのだという。
印象という曲の中では"私"自身も光輝いており虹の色をしているから。
"私"は決定的に黒のままではダメなのだ。
きっと初めて歌詞を見た時に、ほたるは意味を考えては不安になった事だろう。
ほたるは歌をとても大切にするから、何も考えずに歌うって事は無いと断言できる。
それで歌詞カードを見てみたら、

願いがもしも叶うのなら
今だけ手を繋いで

だとか、

私から溢れだす光

だとか、
そんな歌詞が今回の曲には細かく沢山散りばめられていたのだ。
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これはおおよそ普段のままの白菊ほたるでは当てはまらないようなもの。
ほたるは曲の意味を知った時、自分との乖離について少し以上悩んだのではないだろうか。

そもそもほたるは13歳。
恋1つを取っても、ままならない年齢であろう。
シンデレラマスターシリーズに封入されるソロ曲は、
大体のアイドルのものが広義の意味で恋の曲である。
私に言わせれば神崎蘭子の「華蕾夢ミル狂詩曲」でさえも恋の曲だ。
でも、ほたるのソロ曲は過去から現在を通じ、未来への決意を謳う歌だった。
たまたまというかなんというか、最初の一歩もアイドルらしい恋の歌からは始まらなかった。
だからほたるがこういう曲のイメージを連想するのは初めてで。
そういった方向から考えても難しかったに違いない。

多分、この曲は試練である。
白菊ほたるが次のステップに進むために必要な。
そんな何かを裏側に隠し持った試練だったのだ。

真面目なほたるなら間違いなく意図に気が付いただろう。
きっとそんな所まで織り込み済みで。
だから私はこのキャスティングはエグいと感じたのだ。

でもさ、ここにはキチンと完成した楽曲がある。
ほたるは新たな日の出を迎えて。
既にここには素晴らしい作品が形づくられているのだ。
こうやって担当アイドルが一歩進んで行く所を見られて、本当に嬉しい。
変化があるのは良い事だ。
新たな表現を、新たな色彩を、新たな光り方を、1つ1つ身に着けていく。

「印象」は凄い。もう大好きだ。
今思えば、この楽曲自体すらも白菊ほたるを描いた印象画であるかのような。
ある種、そんな趣さえ感じられる。

ほたる、よく頑張ったね。
素晴らしい歌をありがとう。
とても綺麗な光だったよ。
今はそう声をかけてあげたい。

この楽曲「印象」が封入されたCDである、
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 3chord for the Pops!」
は1400円ぐらい自由なお金があれば手に入れる事が出来る。

みんなも白菊ほたるの挑戦の結果を耳にしてみてはくれないだろうか。
共に成長を見守ってくれると嬉しい。

それでは。

■追記

もしかしたら、1番の"私"と2番の"私"は違う人物なのではないか。
そうだとしたらわざわざヴァイオリン担当が2人いる意味が急に浮かび上がっては来ないか。
この歌は本当は片想いの歌なんかじゃなくて。
ひょっとしたら"両片想い"の歌なんじゃないか。
重ならない2つのヴァイオリンは、それぞれの想いを奏でていたのではないか。
良く見れば世界の色彩は。
全く反対の光を放っていたのではないか。

確証や確信に至るような情報を掴めなくて。
今はそうかもしれないという状態に留めておく。
ただ「印象」がもし、そういう曲なのだとしたら。
それはそれで、なんて美しい曲であろうか。
そんな事をこの記事をアップした後に思ったりしました。


おわり。

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